2005年03月23日

●源義仲●〜宇治川の戦い

1184年(寿永2)、頼朝義仲が後白河法皇を幽閉された事を義経から聞き先発隊として義経・中原親能を含む500余騎を都へ出兵させ、その約二ヵ月後には総大将として範頼を出陣させました。

一方、義仲は平氏にならい後白河法皇を奉じて既に室泊の津まで進軍している平氏と交渉しともに協力して頼朝の東国勢を打ちのめすための和平工作を開始。しかし義仲のこの工作を成功させるに必要な時間を与えなかったほど義経率いる東国勢は猛スピードで進出していました。
義経範頼軍(数万騎)は近江(範頼軍)と大和(義経軍)の二方面から京都へ進軍し、近江にいた義仲軍は押し寄せる東国勢に圧迫されて京都へ退却。ここで、平氏との和平工作は実現不可能な状態にお陥りました。そのような中で河内に逃げ込んだ新宮十郎行家が不穏な動きを見せていた為義仲樋口次郎兼光を行家討伐のため河内へ派遣せざるおえませんでした。同時に瀬多へは今井四郎兼平800騎、宇治へは三郎先生源義広根井行親等約800騎を向かわせました。

一方、宇治から京へ迫ってきた義経軍は宇治川に差し掛かっていました。宇治川は雪解け水で増水していた為義経をはばむかと見えましたが、後に有名な一説となった佐々木高綱梶原景季による先陣争いに坂東武者達は刺激されこの川を突破しました。この時の義経軍には河越太郎重頼(しげより)、同小太郎重房(しげふさ)、佐々木四郎高綱畠山次郎重忠渋谷庄司重国(しげくに)、梶原源太景季(かげすえ)、一条次郎忠頼(ただより)などの勇猛果敢な坂東武者達がおりました。
そしてみるみるうちに義仲軍は圧倒され散りぢり状態に打ち破られました。義経は洛中の戦闘を一条次郎忠頼らに任せて、高綱・景季・重忠らを引き連れて院の御所に至り幽閉されていた後白河法皇を救出しました。

宇治・瀬多の敗戦を聞きながらも松殿関白基房の女との別れを惜しんで出陣しなかった義仲は越後中太能景(かずかげ)や津波多三郎の死によっていよいよ死を覚悟し武将の最後を飾らんとするため水瓶座巴御前と瀬多で合流した今井四郎兼平以下数十名の手勢で六条河原に構える一条次郎忠頼軍・六千余騎を中央突破し、続いて土肥実平軍・二千余騎と交戦。ここも戦いぬけ山科を経て近江に向かいました。

ちなみにこの戦いは義経にとっては初陣でした。



ひらめきわーい(嬉しい顔)佐々木高綱もうやだ〜(悲しい顔)梶原景季による先陣争い・・・この時両者は戦いの前に頼朝から名馬を授かっていたと言われています。高綱は「生喰」(いきづき)、景季は「麿墨」(するすみ)をそれぞれ従え宇治川の先陣争いをしたのですね。
結果は、わーい(嬉しい顔)佐々木高綱が先陣争いに勝ちました。

わーい(嬉しい顔)佐々木高綱・・・佐々木源三秀義の四男で、頼朝に仕え、上記宇治川の戦いで勇猛果敢に義仲軍と戦い、後の屋島の戦いでも戦功をあげました。後世は長門守護職を就任後出家し高野山にその身を任しました。

晴れ佐々木源三秀義については左メニュー‘お気に入り’の歴史学者・佐々木先生のサイト(佐々木哲学校)でも詳しく紹介されています。

もうやだ〜(悲しい顔)梶原景季(かげすえ)・・・梶原景時の長男。若くして騎射の達人として知られ、特に1184(寿永3)年の宇治川の戦いで、佐々木高綱と先陣争いを展開したことは有名。1185(文治元)年、平氏縁者の配流と新宮十郎行家追討を義経に伝える使者として上洛。義経の動向を探り、頼朝義経の対立の原因をつくりました。頼朝没後、父63814景時の弾劾に伴い、駿河国爪崎で父とともに討たれました。


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ニックネーム ちこりん at 10:03 | Comment(10) | TrackBack(0) | ●源義仲●
この記事へのコメント
紹介ありがとうございます。
宇治川の先陣争いは、私が歴史学者になるきっかけになる物語ですので今でも好きです。初陣の義経にとって、正攻法でなくていい、勇気があればいいんだと気づくきっかけになった合戦だったかもしれません。でも木曽義仲ファンのちこりんさんには、悲しい戦かもしれませんね。
 こののちも宇治川は佐々木氏にとって大切な場所になります。承久の乱では、やはり佐々木信綱(高綱の兄定綱の四男)が先陣争いをして勝っているのです。
 また宇治の一休寺に佐々木六角氏の位牌とお墓があるんですよ。
Posted by 佐々木哲 at 2005年03月23日 23:31
>佐々木先生へ
カキコ有難うございます♪

宇治川には佐々木氏にとって何か因縁のようなものがあるのかもしれませんね♪でも凄いですね、先祖代々で宇治川で先陣争いをしているなんて♪しかも、勝っているし♪
Posted by ちこりん at 2005年03月24日 06:25
佐々木は戦国時代までは、勢力を誇ってましたね。
六角は信長に滅ぼされ、
京極は、近江半国は浅井に、出雲は尼子に乗っ取られてしまった。(尼子は京極の支流だけど)

豊臣時代、淀君に文句を言えたのは、正室の北の政所と松の丸殿(京極竜子)だけだったなんて話もありますね。京極は浅井の主家だからですね。

あと、
今日は壇ノ浦の合戦があった日ですね。
Posted by htsgis at 2005年03月24日 06:52
>htsgisさん
カキコありがとうございます♪

京極氏では佐々木先生のサイトの「中務少輔高清」、六角氏では同じく「右衛門督義治」でその詳細が掲載されていますね。内紛があったり和議したりと活発的です♪非常に勉強になります♪

壇ノ浦・・・いまで言う関門海峡ですね♪3月24日の早朝から源平の戦いがはじまったと言われてます。NHKではどう描かれるのか・・・面白そうです♪
Posted by ちこりん at 2005年03月24日 09:22
織田信長に滅ぼされたのは、六角のうち承禎・義治父子というのが正確ですね。江州殿は織田信長とともに上洛していますから(お湯殿の上の日記)。
 それにしても、今回の大河ドラマでは佐々木兄弟が頼朝側近に出てきませんね。
Posted by 佐々木哲 at 2005年03月24日 09:55
>佐々木先生 へ

カキコありがとうございます♪
そうそう、私も実はちょっと気になってました♪
梶原景季(NHKでは小栗旬が役)は出るのに高綱はでない・・・という事は宇治川での先陣争いは紹介されないのでは?と♪
後は望みとして番組の冒頭か終わりの「義経紀行」で紹介してほしいかな♪
Posted by ちこりん at 2005年03月24日 11:19
宇治川の先陣争いは劇的ですし、有名ですからないはずはないと思います。役者さんが有名ではない人なのかもしれませんね。
 歌舞伎に佐々木兄弟や塩谷高貞(義清流佐々木氏)がよく出るように、江戸時代には佐々木氏は人気あったのですが、現代の歴史小説で佐々木氏を題材にしたものはほとんどないですね。鎌倉幕府初期には十数カ国の守護になったんですけど。
Posted by 佐々木哲 at 2005年03月25日 03:01
>佐々木先生 へ
カキコ有難うございます♪

確かに有名な役者さんではないのかもしれませんね♪NHKのことだからどう展開するのか予測出来ないところがあります♪

そうですね・・・歴史小説ではあまり佐々木氏は見かけられませんね。小説家化するのに文献とか史料が少ないためなのでしょうか・・・。

Posted by ちこりん at 2005年03月25日 06:28
歴史教科書にあまり出てこないので、知られていないのでしょうね。教科書に出てこないのは、歴史学者がこれまであまり取り上げてこなかったということです。小説家の方々は、すでに知られている歴史常識の範囲内で書かれているので、歴史学者があまり取り上げず、教科書に出てこないとなると、書かないのでしょうね。
 まず私が佐々木氏をメジャーにしないといけないですね(笑)
Posted by 佐々木哲 at 2005年03月25日 11:04
>佐々木先生 へ
カキコありがとうございます♪

そうですね♪中学・高校の教科書は(私の記憶ではなのですが・・・)確か佐々木氏については書かれていなかったと思います。当然。宇治川の先陣争いも明記されていなかったわけで・・・。

先生が「佐々木氏」関連を勉強会も開かれていらっしゃるようにいわば‘布教’活動されると御子孫だけに説得力があると思います♪
Posted by ちこりん at 2005年03月25日 11:37
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