弁慶の生涯が明らかになるのは、室町時代に熊野の山伏が、東北地方で語り継がていた物語をまとめた『
義経記(ぎけいき)』によるものです。この書物は前半こそ
義経の生涯について書かれていますが、後半になると
弁慶についてページを多く割いていて、
弁慶の機知で多くの困難を切り抜ける様が描かれています。
弁慶の人物像は、ここから創作されたものですが、さらに派生した「
船弁慶」などでは、
弁慶が主人公で逆に
義経が完全な引き立て役になっています。
『
義経記』の内容は、あたかも歴史的事実のように語られているので、これにまつわる
弁慶の所持品やゆかりの史跡も各地にありますが、『
義経記』自体は衣川で散った悲劇の英雄を伝説的に記したもので、史実としての信憑性は非常に薄いです。しかし、
弁慶伝説があまりにも全国に広がっているため、どれが史実でどれが創作なのか判別できない状態です。
こういった真偽はどうであれ、『
義経記』に出てくる強くたくましく、一途に主人を慕い死んでいった
弁慶が、当時の封建的社会の中で人々に「美徳」として受け入れられたことが、各地に様々な伝説や伝承を生み出し、語り継がれてきたと思われます。
最後に
弁慶にまつわる伝説はモノや形だけでなく、「内弁慶(内々で威勢がいいのに外では小さな態度の人)」「弁慶の泣き所(弁慶でも痛がる向こう脛)」「弁慶の立ち往生(進展極まる状態)」などと言った言葉としても、現代に生きています。

弁慶の手玉石<満福寺>
いつも勉強させていただいております。
現在歴史サーチのブログ「歴史サーチNEWS」
http://rekishi.ameblo.jp/
で「大河ドラマ「義経」アンケート」
をやっています。
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歴史サーチNEWSへ覗いてみますね♪
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一途な思い・・・日本人が最近忘れているモノかもしれませんね♪私はというと・・・一途なほうです♪ハイ♪
大河のおかげで、最近は弁慶というとマツケンをイメージしてしまいます。
映像の力はおそろしいものがあります。昔は映像がない分、人物像がどんどん膨らんでいって、固定化したんでしょうかね。
運命を共にした生き様には感動物です。
だから、後の世になっても皆に忠義の士
として愛されてんでしょうね。
ちょっとマイナーですけど、尼子氏再興のために
毛利と最後まで戦った山中鹿之助さんにも
通じるものがあると思います。
御訪問&コメントありがとうございます♪
ぱるぷんてさんと同意見です♪人々の心の中で弁慶の人物像がどんどんと育んでいったんでしょうね♪今日、マツケンさんが弁慶を演じている映像を私たちは見ているわけですから初めて見た人は弁慶=マツケン的な人物像 と記憶されていくのでしょうね。
御訪問&コメント有難うございます♪
私は義仲様に最後まで従った今井兼平様が印象的です。最後は、馬上で口の中に刀の先を入れその状態のまま馬から落ちて命を落とすわけですが「我を武士の手本とせよ」と言い残したあたりがかっこいいです♪
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弁慶については、いろいろな説がありますよね。
産まれた時から髪が肩まであったとか、
歯が生えそろっていたとか・・。
想像してみるとあまりにも恐ろしい!
自分の赤ちゃんがそんなだったら、ギョッとするよ!
そんな訳で、弁慶のこと少し調査してみましたので、ぜひ覗いてみてくださいね。