2006年02月14日

文覚〜頼朝に挙兵を促した名僧

在俗時は遠藤盛遠と名乗り、上西門院(鳥羽天皇皇女)に仕えた武士であったといいます。出家後、修行を通じて弘法大師を深く信奉し、大師ゆかりの神護寺再興のための寄付を、63905後白河院に強要して断られ、悪態をつくに至って、捕縛されてしまい伊豆へ流されました。

そこで頼朝と出会い、義朝の髑髏を示して、打倒平家のための挙兵を促したという話は有名(関連記事:頼朝挙兵の譚異聞)。平家の滅亡後は、頼朝63905後白河院の庇護の下、神護寺をはじめとする、弘法大師関係の寺院の復興に尽力しました。しかし二人の没後は後鳥羽朝廷の忌むところとなり、はじめに佐渡、続いて対馬へと配流され、その途中で没したといわれています。

文覚西行のことを、歌ばかり詠んでいるといって憎み、つねづね「どこかで会ったら頭を打ち割ってやる」と豪語していましたが、たまたま西行が一夜の宿を請うて訪ねると、対面し、丁重にもてなして帰しました。不審に思った弟子たちの問いに「あれが私に打たれるような顔か。かえって私のことを打ちそうな面構えだ」と答えた、という逸話が残っています。

よろしければ応援ポチとしてここここをお願いします。
ニックネーム ちこりん at 01:07 | Comment(5) | TrackBack(1) | ■文覚■
この記事へのコメント
文覚と西行の逸話、面白いですね。
私も文覚さん同様、西行さんは詩人かと思っていましたが、
荒法師の文覚さんを打ちそうな面構えだったとは、びっくりです。

それにしても「ねがはくは花の下にて春死なん」は、
ロマンチックですよね。
Posted by ヒロ子 at 2006年02月14日 21:00
文覚と西行の逸話、面白いですね。
私も文覚さん同様、西行さんは詩人かと思っていましたが、
荒法師の文覚さんを打ちそうな面構えだったとは、びっくりです。

それにしても「ねがはくは花の下にて春死なん」は、
ロマンチックですよね。
Posted by ヒロ子 at 2006年02月14日 21:02
>ヒロ子さん
いつも御訪問とコメント有難うございます♪

西行様はどんな面構えだったか面白いところです♪でもまさか仁王様みたいに怖い風貌だったら・・・。

私も春が寒からず暑からずで一番好きな季節なのでとも思ってしまう句です♪
Posted by ちこりん at 2006年02月14日 22:18
文覚と義朝のしゃれこうべの場面は何故か、今回の大河ドラマ義経より以前の草燃えるの時の場面のほうが印象深いです。三島から南に約10kmの蛭が小島に行くと挙兵を促す叱咤激励の声が聞こえてきそうです。
Posted by papichan2222 at 2006年02月14日 22:19
>papichanさん
いつも御訪問とコメント有難うございます♪

草燃えるは懐かしいですね♪頼朝役は(間違ってたらごめんなさい)たしか石坂浩二氏だったような気がします。

蛭が小島での挙兵催促話と言ったらいいのでしょうかね♪文覚様も命がけですね♪
Posted by ちこりん at 2006年02月14日 23:59
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのTrackBack URL
http://blog.netlaputa.ne.jp/tb/239151

宿神(2007年4月)
Excerpt:  「文覚は、そういうやつですよね」  まぁ、ずいぶんな言われ方だ。何がって板坂耀
Weblog: 悪七兵衛景清の今日の一言
Tracked: 2007.05.03 14:27