「源平の軍士等互に混乱し、白旗・赤旗色を交へ、闘戦の体たらく、山を響かせ地を動かす」(『吾妻鏡』・寿永3年<1184>2月7条)
源平の両軍入り乱れての戦いは一進一退のまま、その勝敗はなかなか定りませんでした。そこにまたしても義経の奇襲です。
7日の寅の刻(午前4時頃)、義経は
この時、すでに眼下の
「一の谷の上、鉢伏磯の道と云ふ処に打登り遥かに差覗きて谷を見下せば、軍陣には楯を突き並べ、士卒は矢束うぃ寛(くつ)ろげ、〜中略〜大手の戦ひは、はや半ばと見え、鬨(とき)の声矢叫びの音山を穿ち谷を響かし、源平赤白の旗春風に靡(なび)く有様は、劫火の地を焼くも斯くやと思ふばかりなり」(『源平盛衰記』)。
そこで義経は何頭かの鞍を置いた馬を追って急坂をを降りさせました。脚を折り転がってゆく馬もあれば、無事に降りてゆく馬もありましたが、そのうちの三頭が無事着地しました。これを見た義経が、
「くはおとせ(そら降りろの意。)義経を手本とせよ」
と言って、先頭をきって駆け下るや、続いて
一方の『源平盛衰記』では、土地の猟師
また、『義経記』には
背後からの奇襲に平氏軍は総崩れとなりました。
恩賞として、義経より「義」の一字を与えられ、「義久」と名乗ることを許されました。その後も義経の郎党として活躍し、奥州・衣川館襲撃時に戦死しました。

【戦の濱の碑・須磨浦公園】〜「歴史の扉 〜史跡を訪ねて〜」様より

書こうと思ったことを書かれてしまったぁ。
御訪問&コメント有難うございます♪
景時殿の御言葉はやはり含みが有りますよね♪ただ、記事にもあるように『義経記』では賞賛もしているのでできれば「あっぱれですな、九朗殿!だが、残念ながら三種の神器は・・・・」と言って欲しかったです♪
いつも御訪問&コメント&TB有難うございます♪
あら♪そうでしたか♪
でも、やはり梶原殿の言葉は結構気になりましたよね♪
ドラマを見た後でこちらの記事を読むと、また色々な見方が出来てほんとに面白いですね。改めて一の谷関連の記事を拝見してました。
景時のそのセリフはぜひ言って欲しかったですね。
だけど皆様の書き込みを拝見すると、今後彼は何かあるんでしょうか?あっ、でもやっぱり知らなくていいです…。
御訪問&TBコメントありがとうございます♪
御参考にしてくださって誠に有難うございます♪梶原殿は・・・色々あるので今後チェックポイントキャラクターとだけ言っておきましょうね♪
今度のブログからこちらへは、トラバが飛ばせないみたいです…
御訪問&コメントありがとうございます♪
いえ♪どうかお気になさらずともブログの方を御拝見させて頂く所存です♪お気配り、有難うございます♪