2006年10月19日

京方兵力の構成と戦後処理〜倒幕の決意(4)

京方で戦った人々の顔ぶれを見ると、倒幕の企てに当初から加わっていたと言われているのは、中御門宗行・源有雅、先述した北面の武士藤原秀康ほか、後鳥羽の近臣、西面・北面の武士らでした。

その一人、宇治川合戦で討ち死にする藤原朝俊は弓馬相撲をもって芸となすと言われ、後鳥羽好みだったらしいですが、かつて鳩を捕る為に松明を持って朱雀門に登り、その松明から朱雀門が焼失したという逸話を残した人物です。

なかなか面白い逸話ですが、結局は討ち死にしてしまったわけですので何となくもの悲しい感じが致します。


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ニックネーム ちこりん at 01:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | ■京都朝廷と承久の乱■
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