2006年10月20日

京方兵力の構成と戦後処理〜倒幕の決意(5)

京方勢力で指揮・命令系統の中心となったのは、いうまでもなく西面や北面として院に仕えていた武士たちですが、主な武士でこれまで挙げていなかった人々に簡単に触れておきます。


後藤基清は上北面の武士で播磨守護でもあり、乱後、幕府は子供の基綱の手で斬らせるという残酷な処刑を行っています(泣)。
八田知尚は、後鳥羽が幕府に命じて武技に長じたものを集めた際、それに応じて西面となった武士です。
また京方の中で奮戦した山田重忠は、『沙石集』には八重ツツジを愛(め)でるような風雅の心有る人として語られています。


目沙石集・・・鎌倉中期頃の仏教説話集で十巻、説話の数は134話があります。無住道暁(宇都宮頼綱の妻の甥・常陸国法音寺で18歳にて出家)が編纂。1285年(弘安6)年に完成。笑い話・昔話などの庶民的な御話が収められています。


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ニックネーム ちこりん at 01:27 | Comment(2) | TrackBack(1) | ■京都朝廷と承久の乱■
この記事へのコメント
きょうchikoはちこりんと法音寺へ心はお願いしたの?
またちこりんの、妻が話したかったの♪
また上北に完成するはずだったの。
またきょうchikoが鎌倉にちこりんが法音寺でちこりんとツツジに完成したかったみたい。
Posted by BlogPetのchiko at 2006年10月20日 15:58
>chikoへ
鎌倉にいきたかったの?段々コメントが長くなってきたね♪
Posted by ちこりん at 2006年10月21日 04:14
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