次に、全体としての傾向とは別に、乱に参加した個々の武士達の動機を検討してみたいと思います。
まず幕府によって任命された守護でありながら京方に付いた武士達がいたことに注目しなければならないでしょう。
その名を挙げると、推測も含みますが次のようになります。
大内惟信(美濃・伊賀・伊勢・越前・丹波・摂津。尚惟信の場合、父惟義からの継承時期が明確ではないので、便宜上すべて惟信としました)、後藤基清(播磨)、宗考親(安芸)、佐々木広綱(近江・長門・石見)、佐々木高重(阿波)などです。
これらの守護たちの分布は近江以西ということで、京方兵力全体の分布と重なるようです。そしてこれを見ると、京方は畿内近国の全部を固めたといっても過言ではありません。
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2006年10月23日
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