さらに山城・大和・河内・和泉・摂津の五畿内国のうち、三ヶ国はもともと不設置ななのですから、京都守護と摂津守護さえ味方につれば、すべて京方で固めたことになり、守護を使った幕府方の組織的な兵力動員を恐れる必要はなくなります。
乱の経過を見ると、摂津守護の大内惟信は城南寺の勢揃えの段階から参加していましたし、京都守護の伊賀光季と大江親広は蜂起の最初の手はずとして後鳥羽の御所へ呼ばれ、それに応じた親広は後鳥羽自身に参加を命じられて断ることも出来ずに承諾、警戒して応じなかった光季は討たれるという形で、京方にとってまず五畿内を固めることが重要だったことは、これで分かります。
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2006年10月25日
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