2006年10月27日

京方兵力の構成と戦後処理〜京方についた守護たち(5)

摂津守護の大内惟信が、いつの頃から後鳥羽と接近していたから不明ですが、惟信を京方に引き入れても、この地域の地頭が義時であれば、摂津の守護を味方につけてたことの効果は減殺されるでしょう。

乱の現実の経過からは、この地域の幕府が握っていたことの意味は明らかではありません。しかし少なくとも潜在的には重要な軍事的意味を持っていたからこそ、後鳥羽と幕府との争点として大きく浮上しました。


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ニックネーム ちこりん at 01:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | ■京都朝廷と承久の乱■
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