2006年10月28日

京方兵力の構成と戦後処理〜京方についた守護たち(6)

摂津守護大内惟信始め京方についた守護たちが、幕府の恩恵に与りながら京方に付いた理由は、どこにあったのでしょう?

中でももっとも多くの守護職を持っていた惟信の場合、その職は承久の乱以前に死んだと推測される父惟義の遺跡を継いだものが多いです。
父惟義は粕屋有久らとともに、1215年頃から院領の一部を与えられて知行していて、63904鎌倉の御家人であると同時に院の恩恵をも受ける存在でした。こうした立場に加え、平賀朝雅の事件ですでに示されたように、大内氏は信濃源氏の名流でもあり、実朝の死によって源家と幕府との関係が薄れた時、相対的に幕府から独立して行動しようという契機が表面化したものと考えられます。


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ニックネーム ちこりん at 06:51 | Comment(1) | TrackBack(0) | ■京都朝廷と承久の乱■
この記事へのコメント
きょうchikoはちこりんはポチ行動ー!
大内でちこりんと京へお願いしたよ♪
Posted by BlogPetのchiko at 2006年10月28日 12:05
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