承久の乱以前は、強盗の逮捕、謀叛事件や山僧の闘乱停止などの軍事行動は、幕府ではなく院の命令で行われていて、在京する武士達が院の命令で行動することに慣れていたということもありました。
例えば、1205(元久2)年の平賀朝雅誅殺では、討伐軍の中核は、五条有範・後藤基清・安達親長・佐々木広綱・佐々木高重らで、いずれも後の承久京方として名を残していて、しかも有範を除く他の四人は、乱の時期にはすべて守護をも兼ねていたようです。
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2006年10月29日
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