守護たち以外にも、乱で京方に属した武士には、さまざまな動機があったと思いますが、先ずその一つとして、
頼朝死後、
承久の乱に至るまでの期間に起きた反幕府蜂起の余党・残党と思われる武士達がいました。順次挙げてみます。
筑後の武士勝木則宗は、1200(正治2)年の
梶原景時の叛乱で
景時に与したとして罰せられ、後に許され院西面に属していたのが、
承久の乱で再び幕府に敵対することになります。
糟屋氏の一党は、
北条時政に滅ぼされた
頼家の外戚比企氏と婚姻関係にあり、比企能員の女婿だった有季、後鳥羽武者所に属した有久・有長は乱で討ち死にし、さらにその姉妹が一条高能に嫁して生んだ能氏は乱後に梟首されました。
また
和田義盛の孫で
実朝の寵臣だった和田朝盛は、
和田合戦に生き残って京都に赴いたのが、乱の際に動員されています。
よろしければ応援ポチとして
ここと
ここをお願いします。