頼朝の命を受けました義経は、平氏を一網打尽にするまでは都に帰らないとの決意を
2月3日に京都を発ち、16日、摂津国の渡辺(現在の大阪氏北区。淀川の下流が大阪湾に注ぐあたり)から船揃えをして、讃岐の屋島にいよいよ押し寄せようとします。この時、
「私は兵法には素人だが」
と断りつつ、
「大将軍たるものが先陣を競うのはいかがなものであろうか。ここはまずあなたは都にとどまり、次将を派遣してはどうか」
と諌めの言葉を述べました。古来の軍法では、大将自らが先陣を切ることはありませんでした。ところが義経はこれまで常に自身が先陣を切って進んできました。これに対して義経は、
「殊に存念あり。一陣において命を棄てんと欲す」(『吾妻鏡』・同日条)
と決死の覚悟ですぐさま進発しようとしました。しかし、その日は暴風がにわかに吹き荒れ、多くの兵船が破損し、一艘として纜(ともづな)を解くことができず、出発は一時延期されました。
よろしければ応援ポチとしてこことここをお願いします♪

ちこりんさん、ご無沙汰しております!お元気ですかー?
しばらく書かない間に話も随分佳境に入ってきましたね。義経クンの腹の座りっぷりは見事なもので、見習うとこが多々ありました。
気まぐれ更新ではありますが、今後もぜひよろしくお願いいたします。m(_ _)m
御訪問&TB&コメント&ポチ、有難うございます♪
おおぉ♪お久しぶりでございます♪
九朗様は、あれから「九朗判官義経」もしくは「判官」と呼ばれるようになたんですよ〜♪
腹の座りっぷりはやはり気持ちが「この戦いを最期と心得る」という決意も後押ししているのかもしれませんね。
いつも御訪問&コメント有難うございます♪
私もどのように讒言するか興味シンシンです♪
景季殿と父・景時殿との親子のやり取りが今回はじめて見られましたね♪
それに景季殿は(記憶では)、「ここで行動をともにしないと宇治川での戦での云々・・・」と言っていたような・・・。恐らく佐々木高綱殿に先陣をとられてしまった無念さがゆえのお言葉ではなかったかなと・・。
決死だったからこそ、勝ち軍を重ねられたのでしょうか。
梶原景時とうまくやれたら、大人の軍師がついていたら、そんなことを、ふと思いました。
御訪問&コメント&TB有難うございます♪
やはり鎌倉殿への忠誠を訴えたかったためではないでしょうか。ドラマでは九朗様は何回かそのようなことを言ってますし。。。
梶原殿とは、これも運命でしょうか、ウマが合わなかったんでしょうね〜。一の谷合戦の時、安田殿とはまあまあうまくいっていたのですが・・・・。