父の死により、総大将として臨んだ富士川の合戦・倶利伽羅峠の合戦で大敗を喫したことで、次第に一門から孤立していきました。一の谷の合戦にも参加せず、屋島においても一門から離脱して高野山にて出家。
その後、那智の沖で入水したと言われています。

【維盛塚〜奈良県吉野郡】

【青海波を舞う維盛〜奈良県吉野郡・歴史資料館様より】
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光源氏に例えられるのですから、かなりの美貌ですね♪
東国で鍛えていた源氏と合戦をしては、負けますよね…
御訪問&コメント有難うございます♪
インテリジェンス♪なかなかナイスな言葉ですね♪
維盛殿の真意は未だに謎ですが、やはり負け続けた戦によるふがいなさが自身を責めてしまったがゆえなのかも・・・。
いつも御訪問&コメント有難うございます♪
そうなんですよね〜、かなりの美貌だったということなのでその美貌を生かして舞などに専念されておれば・・と思ったりするのですが如何せん重盛殿の嫡子。残念なことです。
御訪問&コメント有難うございます♪
平家の食生活にも源氏に負けた理由としてあげる方もいるようですね(これについては後ほど記事にします)。知盛様が、我等は知らぬ間に公家になっていたのだ と以前TVで言っていました。
ある意味知盛様は、すばらし分析力を持っているかただと思いました♪