2005年08月30日

▲平維盛▲〜一門を嘆かわせた平氏の総大将

重盛の長男。容姿端麗で、63905後白河法皇の五十の賀宴で、青海波(おうみなみ)を舞う姿は光源氏にも例えられるほどでした。
父の死により、総大将として臨んだ富士川の合戦倶利伽羅峠の合戦で大敗を喫したことで、次第に一門から孤立していきました。一の谷の合戦にも参加せず、屋島においても一門から離脱して高野山にて出家。

その後、那智の沖で入水したと言われています。

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【維盛塚〜奈良県吉野郡】

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【青海波を舞う維盛〜奈良県吉野郡・歴史資料館様より】

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ニックネーム ちこりん at 17:25 | Comment(6) | TrackBack(1) | ▲平維盛▲
この記事へのコメント
重盛の系統はなんとなくインテリジェンスがある感じの人が多いように思えます。もう少し重盛が長生きしていれば、その後の歴史は変わったことでしょう。維盛の塚は意外と大きいですね。
Posted by papichan2222 at 2005年08月30日 16:40
源氏物語にでてくる「紅葉賀」。光源氏と中将が青海波を舞う場面!大好きです^^
光源氏に例えられるのですから、かなりの美貌ですね♪
Posted by ダージリン at 2005年08月30日 18:27
清盛の孫の代になると、やはり武家、というよりは、公家に近かったのでしょうね。親戚関係からみても。

東国で鍛えていた源氏と合戦をしては、負けますよね…
Posted by ヒロ子 at 2005年08月30日 21:27
>papichanさん
御訪問&コメント有難うございます♪

インテリジェンス♪なかなかナイスな言葉ですね♪
維盛殿の真意は未だに謎ですが、やはり負け続けた戦によるふがいなさが自身を責めてしまったがゆえなのかも・・・。
Posted by ちこりん at 2005年08月30日 22:48
>ダーさん
いつも御訪問&コメント有難うございます♪

そうなんですよね〜、かなりの美貌だったということなのでその美貌を生かして舞などに専念されておれば・・と思ったりするのですが如何せん重盛殿の嫡子。残念なことです。
Posted by ちこりん at 2005年08月30日 22:51
>ヒロ子さん
御訪問&コメント有難うございます♪

平家の食生活にも源氏に負けた理由としてあげる方もいるようですね(これについては後ほど記事にします)。知盛様が、我等は知らぬ間に公家になっていたのだ と以前TVで言っていました。
ある意味知盛様は、すばらし分析力を持っているかただと思いました♪
Posted by ちこりん at 2005年08月30日 22:57
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Tracked: 2005.08.30 22:00