九条・近衛両家の角逐の中で、1221年道家は良経の娘を母とする仲恭天皇の即位によって摂関の地位を物にしたこもつかの間、承久の乱によってたちまち仲恭は廃位、道家も幕府の要請によって再び近衛家実と交代する羽目となりました。道家は息子の頼経が将軍となった縁で、親幕的であったように思えますが、承久の乱での道家の立場と言うのは、いささか曖昧だったようです。
頼経との関係から、義時など幕府有力者との親交の形跡が窺えるにもかかわらず、後鳥羽の挙兵にたいして積極的に荷担しないにしても、明確に反対の意思表示をした形跡もありません。
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2007年10月14日
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