「もはやこれまで」と、いよいよ最後の時が来た事を悟った知盛は、御座船に移り、掃除をはじめ、あわてふためく女房たちに軽口をたたいて、「その時」が来た事を告げました。このありさまを見た二位尼(清盛の妻時子、建礼門院の母)は、三種の神器のうちの神璽を脇にはさみ、宝剣を腰に差し、まだ幼い安徳天皇を抱いて船端に歩み寄るや、海中に身を沈めました。
続いて女院(建礼門院)も、焼石や硯といった重い物を懐に入れ、海中へと身を投げました。しかし、女院の入水を知った源氏の侍、渡辺党の源五右馬允昵(げんごうまのじょうむつる)によって、その長い黒髪を熊手にかけられ、引き揚げられてしまいました。
後に女院は自身の半生を語り、この時のことを畜生道になぞらえて語っています。『源平盛衰記』では、
「九朗判官(義経)に虜られて、心ならぬあだ名を立て候へば、畜生道に云ひなされたり。誠に女人の身ばかり、申すに付けて悲しけれども、我が身一人の事にあらず」
と、より具体的に記されています。ことの真偽はともかく、戦争時の女性の身の上としては、このようないわゆる畜生道があったのもまた事実でした。

【壇の浦古戦場址の碑】<花橘亭〜なぎの旅行記〜>様より
この地を舞台に最後の戦い
【MAP】


地図では+印

安徳天皇をすり替えたのは、ドラマとしてのフィクションなんですかね?
御訪問&TB&コメント有難うございます♪
フィクション性が高いですね♪平家物語には記載されていませんしここは創作的な要素が強いか、若しくは新説かもしれません♪
昔、『女院徳子の恋』という小説を発見して、相手が義経だということに衝撃を受けたのですが、『源平盛衰記』に書かれていたことだったのですね〜。驚きました。
御訪問とコメント有難うございます♪
『女院徳子の恋』という小説が存在していたとは・・・御参考になります♪
今度お時間がありましたら読んでみたいと思います♪
現在、掲載されている「壇の浦古戦場址」の碑は撤去されています。
↓新しい「壇の浦古戦場址」碑
http://www.geocities.jp/kakitutei_pickup/dannoura/kosenjyo.html
壇の浦古戦場跡の碑がある場所は、みもすそ川公園として、源義経・平知盛の像や二位尼の歌碑が建てられ整備されています。
現在、掲載されている「壇の浦古戦場址」の碑は撤去されています。
↓新しい「壇の浦古戦場址」碑
http://www.geocities.jp/kakitutei_pickup/dannoura/kosenjyo.html
壇の浦古戦場跡の碑がある場所は、みもすそ川公園として、源義経・平知盛の像や二位尼の歌碑が建てられ整備されています。
いつも御訪問とコメント有難うございます♪
来週は、建礼門院様以下、親王様と一緒に住まわれているシーンがありましたね♪建礼門院様が出家されてましたし♪
また判官殿も三種の神器をお上に献上奉ったため、鎌倉殿が激怒していたように見えました♪
御訪問とコメント有難うございます♪
わお♪整備されていて撤去されていたとは・・・。
お情報有難うございます♪ぶしつけながらなぎさんのお写真を(例のごとく♪)つかわさせて頂きます♪
みもすそ公園内で移動してしまったんですね♪