青方入道(法名を覚円)は、鷹島に子息を1,2人送り、地頭に使えさせていたそうです。その子息が、何か地頭の気に入らない振る舞いをしたため、問責の使者が小値賀島を訪れました。覚円は、「御式条」を引き、自分が責めを負ういわれのないことを力説します。
親が僻事をしても、現場に居合わせなかった子に罪をかけてはならず、また、子が僻事をしても(僻事にかかわっていない)親に科(とが)うぃ及ぼしてはなりません。そのように承っております。具体的な状況を尋ねもせず、ひたすら責め立てる御使は、見苦しゅうございます。
ここに引用された「御式条」は、たぶん【御成敗式目】第十七条、承久の乱に宮方に加わった御家人への罪科を規定した中にある「ただし、父子の間が著しく離れており、音信を通じ合った形跡がなければ、宮方に加わった罪を及ぼすのは難しい」でしょう。
鎌倉幕府の発する法が、個々の場合に即して読みかえられつつ、受容度を強めてゆく状況は永仁徳政令の伝播の際、顕著に認められるけれども、覚円の抗議は、すでにそのような幕府法受容のあり方を示す、と言ってもいいでしょう。
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