「八艘飛び」の飛び方この壇ノ浦では、
義経にまつわるエピソードとして御馴染みの「
八艘飛び」ですが、さてここで問題。
「
八艘飛び」とはどのような飛び方をさすのでしょう。
八艘の船を次から次へと渡る
八艘分の船の距離を飛ぶ
長刀(なぎなた)を持ちながら超人的な跳躍を見せるここでは問題の答え探しとして、いくつかの作品や資料の中に描かれた
義経の「
八艘飛び」について見ていきながら、
八艘飛びの真実に(可能な限り)迫ってみたいと思います。
まずは『
平家物語』。ここで「
八艘飛び」がどのように描かれているか見てみると、意外なことに「
八艘飛び」という言葉そのものは見当たりません。ひとまず、巻十一の「
能登殿最後」見てみます。
奮戦する平家方の猛将、
能登守教経は用意した矢すべて放ち終えました。以下。大体の内容は下記の通りです。
教経はこの日を最期とおもったのか、赤地の錦の直垂に、唐綾おどしの鎧を着て、いかめしい大太刀を抜いて、大長刀の鞘を外して、それを両手に持って斬りつけ回りました。面とむかって相手になる者は皆無でした。そして多くの者達が討たれました。しかし、
総大将平知盛からの伝言で、雑兵をいたずらに斬りまくることをたしなめられ、敵の大将をねらい、力をこめて刀を握り直します。
教経は源氏の船に乗り移って、大音声とともに攻め戦うのでした。
教経は
義経をじかには知りませんでしたが、立派な鎧を着た武者を、これぞ判官かと目ざとく見つけ、近づいていきます。
一方、、
義経の方も先から承知、面とむかって立つようにしていましたが、上手くやり過ごして
教経と組み合うことはありませんでした。しかしながら、たまたま
教経は、
義経の船に行き当たりました。いざ勝負、と突進するのですが、
義経はかなわないと思ったのか、
長刀を脇にはさんで、他の源氏方の船が二丈ほど先にいたところにゆらりと飛び乗りました。能登守はこれにはついていけず、呆然とするだけでした。
以上が『
平家物語』における「
八艘飛び」の一部始終です。いささか拍子抜けするぐらいあっさりしていますが、要は追い詰められた
義経が、二丈先の船に飛び移るというものです。この場合、先の解答のうち

に当たると考えられます。「
壇ノ浦合戦」(安徳天皇縁起絵図 赤間神宮蔵)はその場面を描いた物です。
これについて、安田元久氏の『
源義経』(新人物来往社)では、
「もちろんそのままは信じられない。二丈といえば6.6メートル、重い鎧をつけての跳躍でこれだけ飛べれば、まさに神業であろう。ここでは、そうした神技よりも、むしろ懸命になって逃げた
義経の姿を『
平家物語』の作者は強調したかったのかも知れない」
としています。勿論二丈を飛ぶのですから超人的ではありますが、一体これが我々の知るところの「
八艘飛び」と言えるのでしょうか。どうも視覚的なイメージとしては、物足りなさを感じてしまいます。
いやむしろ、そもそも考えの順序が違っていて、ここは発送を転換させて、「
八艘飛び」というのは後世に作り上げられたと見るべきでしょう。イメージとしての「
八艘飛び」、ならびにその言葉が、いつごろ生まれたのかをも探る必要があるようです。
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