2005年11月18日

義経、西国へ!(10)

耳大物の裏は今

本大物(だいもつ)とは、木材・石材など大きな物をさす言葉で、大物の浦はその名の示すとおり。巨材を積んだ大型船が入港できる入江でした。
現在、かつて大物の浦と呼ばれていたあたり一帯は、埋め立てられて内陸化していて、昔の面影はほとんど残っていません。

阪神電鉄大物駅近くに大物主神社があり、その境内には「義経弁慶隠家跡」など、義経との関係を示す石碑や看板が立っています。


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【大物主神社】〜兵庫県尼崎市大物町(Melyさんより頂きました)

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【MAP】

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2005年11月17日

義経、西国へ!(9)

ネット(枠付き)極めて江戸時代的な知盛像

義経千本桜」の牡羊座知盛が、能の「船弁慶」を踏まえて創作されているのは確かですが、その人物造型には江戸時代的な要素が見て取れます。「船弁慶」の牡羊座知盛は、所詮幽霊なので63869弁慶の祈りによって退散させられざるを得ませんでした。

ところが「義経千本桜」の牡羊座知盛は、最初は目前にいる義経への恨みのあまり、出家を勧める63869弁慶に逆上したりしますが、やがて平家一門が滅んだのは父・清盛の悪行による天罰だと自覚し、みずからの意思で死を選択。つまり自分の置かれている立場を冷静に見つめ、その上でとるべき行動を的確に判断することのできる自我意識を備えている点が、きわめて江戸時代的です。

また世が世なら、一般庶民には言葉を交わすどころか姿を見ることすらできない貴人が、仮の姿とはいえ、生活のためごく普通の町人として、船問屋商売に精を出しているとの発想もおもしろいです。銀平は、海辺で働く、男らしくて格好の良い江戸時代の海の男そのもので、おしゃべりで客あしらいにそつのない女房は、どこにでもいる市中の商売人のおかみさんとまったく同じです。そのような庶民的に見える人々が、本名を明かしたあとはガラリと雰囲気を変えて、高貴な気品をただよわせた人物に変身します。

役者に言わせれば、その演じ分けが難しいところなのだそうです。


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義経千本桜



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2005年11月16日

義経、西国へ!(8)

牡羊座知盛は生きていた〜「義経千本桜」

中世以来、人々の間で広がっていた、牡羊座知盛は怨霊となって大物の浦義経の船を襲い63869弁慶に調伏されたのだという共通認識を下敷きに、江戸時代人の想像力は、今度はそれをひねった形で、物語を作り上げます。63652壇ノ浦で入水したはずの安徳天皇牡羊座知盛の遺体が上がらなかったのを利用して、牡羊座知盛たちが実は生きていて、義経に報復するチャンスを虎視眈々とねらっているとのストーリーを考え出したのです。それが「義経千本桜」の二段目、「渡海屋」と「大物浦」の場です。

1747(延享4)年の大坂(大阪)で初演された人形浄瑠璃「義経千本桜」は、「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」「仮名手本忠臣蔵」と並ぶ時代狂言三大名作の一つで、翌年にはすぐさま歌舞伎化され、今日、文楽・歌舞伎両方の重要なレパートリーとなっています。
渡海屋」「大物浦」のあらすじを記してみます。

尼崎大物の浦で船問屋の渡海屋を営む、真綱の銀平(ぎんべい)と女房は、九州へ渡るために、日和待ちで滞在している義経主従を欺き、一刻も早い乗船を勧めて荒れる夜の海へと送り出します。銀平は実は牡羊座知盛、女房はハート典侍(すけ)の局、娘・お安は安徳天皇の世を忍ぶ仮の姿で、63652壇ノ浦で海底に沈んだと思わせておいて、二年あまりの間、庶民にまじわって生活しながら、ひたすら怨敵義経を討ち取る機会をひそかに狙っていたのでした。牡羊座知盛は敵の目をくらますため、白装束、白柄の長刀を構えた幽霊のいでたちで、義経のあとを追い、海上へと向かいます。渡海屋裏手で沖の戦況を見守っていたハート典侍の局は、牡羊座知盛討ち死にの知らせを聞いて、安徳天皇を抱き入水を図りますが、義経の郎党に助けられます(渡海屋)。

深手を負って戻ってきた牡羊座知盛は、安徳天皇の守護を誓う義経の言葉に耳を貸さず、63869弁慶が出家を勧めて首へ投げかけた数珠を捨て、なおも義経にいどもうとする。しかし、安徳天皇に、

義経の情けを仇に思うな
と論され、ハート典侍の局も自害して、我が身の命運尽きたのを知ります。義経に、

大物の沖で判官に仇をなしたのは、知盛の怨霊だと伝えてくれ
と言い残し、岩上にのぼって大碇の綱を身体に巻きつけ、碇を海中に投げ込み、綱に引かれて海底へと壮絶な入水を遂げます(大物浦)。

63652壇ノ浦義経に滅ぼされたはずの牡羊座知盛が、船問屋のあるじとして親子三人、平凡で幸せな家庭生活を営んでいるように見せかけて、恨み重なる義経への復讐の機会を、ひそかにうかがっていました。
しかし、機会を見て本望を達しようとした時には、計略はすべて見破られており、結局義経に一太刀も浴びさせることなく、海中へ我が身を投じることになりました。

通称「碇知盛(いかりとももり)」と言われるこの幕は、運命の前の如何ともしがたい人間の虚しさを描き出し、印象的な幕切れともあいまって、強く心を打ちます。


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2005年11月15日

義経、西国へ!(7)

わーい(嬉しい顔)歌舞伎になった「船弁慶」

明治期の歌舞伎の名優、九代目市川団十郎が明治18年(1885)に初演した、松羽目(まつばめ)物(能狂言に取材した歌舞伎舞踊)の「船弁慶」は、初演以来、さまざまな歌舞伎役者たちによって形が洗練され、現在も上演回数の多い人気作品です。揺れるハート牡羊座知盛も、面をつけて演じる能と異なり、役者が、自信の顔に化粧や隈取りをほどこして舞台をつとめる点や、牡羊座知盛の花道の引っ込みに工夫がある点などが大きな相違ですが、基本的な筋の運びから細部に至るまで、かなり多くを能によっています。

それだけ、能の「船弁慶」は、舞台劇としての完成度が高いと言えましょう。


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【能「船弁慶」の静御前】

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【能「船弁慶」の平知盛】

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2005年11月14日

義経、西国へ!(6)

雪「船弁慶」の登場人物

まずは前半の主役、揺れるハート静御前からです。

史実では大物の浦での難破後も、揺れるハート源義経と行動をともにし、数日後にクリスマス吉野山で、一人彷徨っているところを発見されるのですが、ここでは義経との別れを、大物の浦出船前とすることにより、愛する人との胸の引き裂かれるような別れのつらさに打ちひしがれながらも、美しく優雅に白拍子の舞を舞って前途を祈るけなげさが描かれています。
そのしとやかな女性を演じたシテが、一度引っ込んだ後、今度は見るからに恐ろしい牡羊座平知盛の幽霊となって、再び舞台に現れるわけです。

牡羊座知盛63652壇ノ浦合戦に敗れ、「見るべきほどの事は見た」と言って、鎧二領を着て海に沈んだとされる平家の猛将であることは先に述べていますが、自分たちを滅ぼした義経を強く恨んで死んでいった人物とも言われています。悲劇的な最後を遂げた牡羊座知盛の怨念が、大物の浦義経にたたりをなしたのだと考え、成仏できずにこの世に迷う平家一門の霊を、舞台上で鎮魂します。そんあ発想に、中世日本人の宗教観を見ることができます。

義経を、子方と呼ばれる少年が演じるのも特徴です。見るからにかわいらしく、りりしい貴公子は、揺れるハートとの別離の場面では情愛に傾きすぎることもなく、舞台に花を添えています。

その時義経少しも騒がず

と言って太刀を抜き、牡羊座知盛の怨念と戦う姿も勇ましく見えます。

ワキ方が演じる63869弁慶は、主役ではないのですが、物語の進行をつかさどる大切な役割を果たしています。義経と静の別れのセッティング、大物の浦での出船準備、牡羊座知盛の怨霊の祈伏など、しどころは多いです。主君のために心を砕き、全力で守ろうとする、そんな忠義の臣である63869弁慶の冷静な判断と機転が、義経の逃避行を支えています。

また、能は大道具を用いないので、突然の激しい波風にもまれる航海の様子を、作り物の舟と櫓さばきだけで見せる船頭役のアイのは働きも、地味ながら抜群の舞台効果をあげています。
このように、それぞれの役にそれぞれの見せ場が用意され、演者も観客もいろいろな楽しみ方ができるのが人気の秘訣なのでしょう。



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2005年11月13日

義経、西国へ!(5)

船弁慶」(観世小次郎信光作)は、現在も上演される機会の多い、有名な能です。ストーリーは以下の通り。

頼朝と仲違いした源義経(子方)は、63869武蔵坊弁慶(ワキ<相手役>)らを伴い、西国目指して都を落ち、大物の浦に到着します。手配した宿で63869弁慶は、女連れでは不都合であるからと、ここまで供をしてきた揺れるハート静御前(前シテ)を都へ帰すよう、義経に進言します。揺れるハート義経の愛が薄れたのかと嘆き、都へ帰れと伝えに来た63869弁慶を恨みますが、義経の元に参上し、じきじきの言葉を聞いて帰京を承諾、烏帽子を付けた白拍子姿で、別れに際し門出を祝って一さし舞うと、泣く泣く主君の前を去ります。


63869弁慶揺れるハートとの名残を惜しむ義経をせきたてて、船出を急がせる。出航してしばらくすると、突然海が荒れ始めました。船頭(アイ<間のつなぎ役>)は必死に櫓を漕ぎますが、波風はますます激しくなり、海上の西国で滅んだ平家の一門の亡霊が浮かび上がります。その中から牡羊座平知盛の怨霊(後シテ)が名乗り出て、長刀を振り回し義経に襲い掛かります。義経は冷静に太刀を抜いて応戦するものの、相手が怨霊では、武器で対抗してもかなわないと見た63869弁慶数珠を揉んで祈ると、牡羊座知盛の霊は祈り伏せられて退散します。


この作品のポイントは、登場人物それぞれが重要な役割を与えられていること、揺れるハート静御前牡羊座知盛の霊という対照的な役柄を、同じ演者(シテ)が演じ分けること、揺れるハート静御前の別離の舞や怨霊との対決など、視覚的な変化に富む見せ場が多く用意されていること、などがあげられます。

愛する人との別れを描いた前半のしんみりとした悲しさと、激しく襲い掛かる怨念との戦いを描いた後半の荒々しい展開とのコントラストが面白く、ドラマチックで観客を飽きさせません。

「お能は見てみたいけど、難しそうでちょっと・・・・」
と敬遠している初心者には、ぜひお勧めの作品です。

(「船弁慶」関連HP:http://www.ses.usp.ac.jp/users/nougakubu/takahikosensei.htm

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2005年11月12日

義経、西国へ!(4)

ちっ(怒った顔)弁慶、祈りで悪霊を退治

義経の難破の原因を、平家の怨霊のしわざだとする説によった芸能作品に、幸若舞「四国落」や能の「船弁慶」があります。

まず「四国落」から見てみると、頼朝の怒りにより、追われる身となった義経一行は、とりあえず四国へ渡ろうと出航したところ、讃岐(現在の香川県)の八島の上から黒雲がわき、悪風が起って船団はもまれ、従者は散り散りになります。63869弁慶が、

風は龍王の息ですから、宝を沈めてごらんなさいませ

と提案し、船中の宝物を海中に沈めると、波風がおさまります。すると今度は八島の上から、唐傘ほどの大きさの光り物が飛んで来て悪風が起ります。それを見て、ただごとではないと思った63869弁慶は、船のへさきに立ち、大声をあげて名乗り、数珠を押し揉み真言秘密の呪文を唱え祈ります。すると、波間に現れていた平家の悪霊たちは皆、海底へと入っていき、義経は無事に航海を続けることができました。

八島とビール屋島、つまり義経がかつて平家軍と激しい合戦を行った地であって、義経に恨みを残して死んだ平家の武将が多く眠る場所です。63869弁慶が悪霊に対抗する手段として、武力ではなく、加持祈祷を行うのは、宗教性の強い中世芸能の特質で、死霊は祈りによってのみ、鎮めることが可能だとされていました。

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2005年11月11日

義経、西国へ!(3)

もうやだ〜(悲しい顔)平家の怨霊あらわる

彼らの船の遭難は『吾妻鏡』には、その事実が単に記録されるだけですが、『平家物語』や『源平盛衰記』といった軍記物語は、この難船を、義経に滅ぼされた平家の怨霊のせいかと記していて、以後の伝説や文芸には、平家の怨霊のたたりとの説が受け継がれていくことになります。

義経記』では、次のように載っています。

四国を目指して航行している義経が、怪しい黒雲を見咎めます。63869弁慶はその雲を見て、

お忘れですか。かつて平家を攻めた時、平家の公達たちが死んで行く際に、『源氏の大将には悪霊・死霊となってたたってやる』と仰せられましたよ

と申し上げ、半信半疑の義経に、「証拠をお見せしましょう」と、雲に向かって、

この弁慶こそは、評判の弓の名手だぞ。平家の死霊ならば堪えられまい

と言って次々と矢を射ると、雲はかき消すように失せました。

義経一行はそのあと、本物の嵐にあって結局遭難するのですが、63869弁慶が平家の怨霊を退散させたとの物語は、注目に値します。

義経記』の場合、63869弁慶は弓矢を使い、武力で死霊を圧倒しますが、この怨霊の話が芸能化されると、怨霊への対抗手段はまた違ったものになってきます。

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2005年11月10日

義経、西国へ!(2)

ぴかぴか(新しい)鮮やかな引き際

翌3日の早朝、義経は主従二百騎だけで、静に都を出ました。

義経等の所行、実に以て義士と謂ふべきか。洛中の尊卑随喜せざる無し」(『玉葉』・十一月3日条)

と、九条兼実が記すように、義経の都落ちは実に堂々としたものでした。かつて平氏や木曾義仲が都落ちする際にしたような涼奪、放火、さらには天皇や法皇などを都から連れ去ろうとする行為など一切を義経はしませんでした。そして63905法皇に対しては使者を立て、

鎌倉の譴責(けんせき)を遁れんがために鎮西に零落す。最後に参拝すべしといへども、行粧異体の間、すでにもつて首途す」(『吾妻鏡』・十一月三日条)

と口上させました。御所にうかがい、もう一度竜顔(りょうがん)を拝してご挨拶いたしたいところですが、普通とは違う風変わりな旅の装束をいたしておりますので、このまま失礼致します。
こうした態度が、後々まで都における義経の評判をよくしました。

雷行方不明

6日、一行は大物浦(兵庫県尼崎市)から船に乗りました。するとあろうことか、にわかに暴風が起って船が転覆し、従者は四散しました。
義経に従ったのはわずかに源有綱堀景光63869武蔵坊弁慶、それに黒ハートの四人だけでした。その日の夜は天王寺あたりに一泊しましたが、ここから先、義経は行方をくらましてしまいました。


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2005年11月09日

義経、西国へ!(1)

左斜め下西国落ち

頼朝追討の宣旨によって、畿内近国の武士を見方に招こうという義経の思惑ははずれました。いまや所領を持たない義経に対し、周囲の豪族たちは味方につくメリットを感じなかったからです。このままでは到底、頼朝の軍に太刀打ちなどできません。ついに義経は都を出て、西国に逃れることを決意しました。


メモ院庁下文

11月2日、義経63905法皇に対し、山陽道・西海道のすべての土地、所領を義経の支配とし、年貢雑物などを取り扱うすべての権限を与えてもらいたいこと、さらには豊後(大分県)の武士たちに、行家義経両人の生活の資をまかなうように命じて欲しい事、この二点を申し入れました。

その夜、63905法皇義経の願いを受け入れて院宣を下し、行家義経をそれぞれ九州・四国の地頭に補しました。


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