伝説のつくられる背景とは?
義経が蝦夷ヶ島へ渡ったという伝説の背景には、どのような事情があったのか東北と北海道に分けて考えてみようと思います。
東北地方での
義経が人気は結構根強いものがあって、おそらく中央に対抗して、東北のすばらしさを主張する時の象徴的存在でもあったでしょう。東北の地芝居における
義経の圧倒的な人気の高さは、その代表的なものでしょう。
昔から東北地方では、地芝居の中に、判官
義経が登場しないとおさまらないという風習がありました。たとえば、『
忠臣蔵』や『
菅原伝授手習鑑』のような、
義経とはまったく無関係な狂言の最中でも、一時、芝居の進行を止めて、御大将の装束を美々しく着飾った判官が花道から舞台に登場し、客席に向かって大見得を切り、
「
かかるところへ義経公、ひと間のうちより出で給い、さしたる用事もあらざれば、ふたたび奥へと入り給う」
という床の義太夫で退場するというようなことが、比較的最近まで実際に行われていたと言われています(戸板康二「役者の田舎わたらい」より)。
必然性がないにもかかわらず、とにかく
義経を登場させるわけです。
東北地方には
奥浄瑠璃というものが伝承されていました。戦国時代から江戸初期にかけて、
義経の一代記を扱った
奥浄瑠璃を語りながら、東北地方を歩いた人たちがいました。彼らの足跡が後年になって、
義経自身の落ち延びた経路とされた可能性が有ります。
思うに、東北には、中央である京都や江戸とは異なった、神秘的で力強い風土があって、その力強さが
義経伝説の形勢・定着に寄与しているのではないかと・・・。
関敬吾『日本昔話大成』(角川書店)では、同じような話を取り扱った民話でも、東北地方のそれには独特な工夫が施されていて、とりわけおもしろいです。柳田国男の『遠野物語』にしばしば注目が集まるのも、同様の魅力による物かもしれません。東北という風土が持つ、強い力について、まずは注目しておきます♪
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