遺跡の所在地は、京都府福知山市大字大内小字平城です(周辺の館として大内城があります)。この地は山麓から張り出した丘陵に立地していて、兵庫県側から流れる竹田川と京都府側を北流する土師(はじ)川がその眼下で合流する交通の要衝に立地します。
屋敷地は東西・南北とも百メートルと広大で、外側に土塁、内側に空濠をめぐらし、特に東側は三重の空濠と土塁で構成されています。
この西方には一辺約40メートルの
方形館が二基、南北に配置されています。内部の遺構は平安時代末から室町時代まで4時期の変遷をたどって、そのうち2期までが大規模の建物群で構成されています。当初は南北・東西とも4〜5間の総柱建物が中庭を囲むように四棟配置されてたようです。それが2期にいたると建物の規模はさらに拡大して、南北に三棟配置されました。南の建物西脇には井戸があります。
『
吾妻鏡』によると、1184(寿永3)年、領家でした
平頼盛が、平家没官領であるこの地を安堵してもらうために
頼朝に申し出て、許可されていたことが知られています。
このように洛外やその周辺の館の成立は、従来考えられていた方形館の時期より遡ることが明らかとなって、これらの資料から、王権との関係がよりいっそう深かったことを物語っています。そしてまたこれより以後、地方に拠点を移した武士の館は、すでに誇示できるほどの勢力を持ったことが畿内や東国各地の遺跡からうかがえます。
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