藤原俊成の男・母は藤原親忠女、美福門院加賀。異父兄に似せ絵の名手と知られた藤原隆信がいます。
早くから歌才を示し、両親及び周囲から将来を期待され、特に最晩年の西行と種々のやりとりが見られます。一方、官位の昇進は順調ではなく、24歳の時には、殿上で乱闘騒ぎを起こし、朝廷への出仕を止められたりもしています。
父俊成の代から、摂関家の九条家に出入りするようになり、定家もその縁で家司として仕えました。
その後、後鳥羽院に歌を認められ、『新古今和歌集』の五人の撰者の一人に選ばれました。また後年、定家は単独で『新勅撰和歌集』を選んでいて、『百人一首』の原型を選んだのも、ほぼ同時期です。
晩年は、詠歌よりもむしろ、『伊勢物語』『源氏物語』をはじめとする、古典作品の書写・校合を専らとしました。中でも『更級日記』は、定家筆本が最古の一本です。その筆跡は個性的で、自ら悪筆を認めてもいますが、その独特さが定家の名声の高まりと相俟って、後代「定家様」として、もてはやされました。
よろしければ応援ポチとしてこことここをお願いします。
