京都にいた公家側の、この年の記録を見てみます。
近衛兼経の日記「
岡屋関白記(おかのやかんぱくき)」によれば、次のような経過をたどっています。
---6月9日、関東で事件があった。
頼経が謀略をめぐらして、武士達に命じて
時頼を討とうとしたり、調伏の祈りなどを行ったが、このことが発覚して騒動となった。
頼経の側近の藤原定員を搦め捕って拷問したところ、罪状を認めたそうだ。
頼経は幽閉されているというが、使者が簡単に通れるような状態ではないので京都の人間には事実はわからない。
頼経の父親である道家は恐ろしく思っているだろう。
6月16日、このところ天下は轟々たる騒ぎで、あるいは武士達が憤りのあまり、来月11日には
頼経を関東から京都に追放するという。この騒動について聞くところでは、
頼経が父親の道家と示し合わせて謀をめぐらし、武将達を語らって故
泰時の子息達を討とうと企て、かつまた僧徒に調伏・呪詛させたのだという。経時の早世はこの故で、その陰謀が発覚したので大事に及んだものだ。
京都の風聞は以上のようですが、虚言なども加わっているので当てにはなりません。近日のことは、皆天魔の仕業でしょうか・・・。
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